鎌倉高校の何気無い日常 4
「有川君、ちょっといらっしゃい。有川君! 教頭先生が、君の言う条件を聞きて下さるそうよ」
「話が早くて助かるぜ、教頭先生」
「有川君! 言葉遣いに」
「まあまあ、新井先生。話が分かるかどうかは、君の話を聞いてから、ですよ。
で、有川君、君の条件というのは何かね?」
「OK、単刀直入に言うぜ。英語科から提出を求められているレポートを、無しにして欲しい」
「何ですって! 有川君! 君ね」
「新井先生……。それでは、理由を聞こうかね」
「理由? 特に無いが……。ま、強いてあげれば英語科の先生方に誤解があるみたいだからな」
「誤解?」
「ああ、俺は語学研修であっちの世界に行ってたワケじゃ無い」
「え? そうなのかね?」
「ああ。それに俺が行ったところは『英語圏』でもない。なのに学校に出るなり、英語科に呼び出されて
『授業では気付かなかったような英語の日常会話表現についてのレポートの提出を』なんて言われてもな」
「なるほど」
「その上、異世界で世話になった家っていうのが、
雅楽だの舞だのを日常茶飯事にしてるような、超が付く程の金持ちだったしな」
「雅楽や舞を……? どんな親日家の家庭にホームステイいたんだね」
「だから困ってるんだ、正直」
「なるほどね。………分かりました。英語科には私から責任持って伝えておきましょう」
「おぉ! サンキュー」
「教頭先生! 良いのですか?」
「海外短期留学と言えば英語の語学研修、そう思いこんでいる教員側も反省しないとならないでしょうね」
「フッ」
「何かね? 有川君、その笑いは?」
「悪りい。ま、気を悪くしないでくれ。ただ、とってつけたような理由だからな。
望美のことにそれ程苦労していたとはね」
「有川君」
教頭は手招きをして、将臣を職員室の隅の窓際まで連れて行き、辺りをうかがって小声になった。
「校長先生は今日も教育委員会にお出かけだ」
「御苦労なことだ」
「春日さんは何も悪くない」
「当然」
「悪くない。にもかかわらず、上からは『なんとかしろ』と矢のような催促だ」
「同情するぜ。中間管理職の悲哀ってやつだな」
「その上、マスコミが噂を聞きつけて、ここ何日か取材の申し込みも増えている。
正直、校長も私も打つ手が見つからないのだよ。もうノイローゼ一歩手前だ」
「OK、もう大丈夫だ」
「頼むよ。こうなると情けない話だが、君だけが頼りなんだ。彼女とこの学校を助けてくれないか」
「校長とあんたを、でもあるよな」
「それも否定はしない」
「正直だな、OK! 気に入った」
「そうか、では頼んだよ。
ところで有川君。純粋に好奇心から聞くのだが、語学で無いとしたら、君は何の研修にでかけたのかね?」
「詳しいことは言えないんだ……、ま、敢えて言えば…停戦調停……かな」
「え? PKFとかかね? 何かのNGOに参加したのだね」
「Peace Keeping Force……って、平和維持軍に日本の高校生は入れないぜ。
強いて言えば、Peace Keeping Operationsっぽい事ってところだ」
「PKO……苦労してきたのだね」
「え? そんなでも……」
「いや、言わなくても分かるよ。私も教員を伊達に30年以上やっていないからね。君の顔付きの変化は」
「え? 俺、そんなに変な顔になったのか?」
「そういうことでは」
「ハハハ、分かってるさ。OK」
始業のチャイム
全校が固唾を呑んで、調理実習室の成り行きを見守っている。
廊下には2学期末の調理実習時と同じく校長と教頭
調理実習室には新井、鈴木の両家庭科担当教諭に加えて、
2学期の調理実習時の『仁王立ち』以来、校内の『勇者』となった大熊体育科教諭が今回も加わっていた。
「では、これから前回説明した通りの手順で実習に取りかかってもらいます」
「1年生は2年生の指示に従って、2年生は1年生に段取りを説明して、協力して行ってください」
わらわらと各調理実習台に5、6人ずつになって別れていく1、2年生。
「先輩、よろしくお願いします」
「あ、こちらこそよろしく。譲君も1班なんだ。『有川』だもんね、当然か。」
「先輩こそ『春日』なのに1班なんですね」
「うん、うちのクラス、ア行の女子が2人しかいなくて」
望美がそう言うと「安藤です」「鵜野です」と望美の傍らの2年生が挨拶した。
それをきっかけにしたように、あちこちで自己紹介が始まり、一見和やかなムードで調理実習が開始された。
「望美、譲の奴をこき使ってやれ」
「兄さん!」
「えっと、で、何からすればいいのかな?」
「おいおい、お前が譲に段取り聞いてどうするんだよ、望美。
新井Tが言ってたじゃねぇか、『2年生が1年生に段取りを説明して』って」
「あ、そうか。じゃぁ……」
「いいですよ、先輩。あれ、それより気が付きませんか」
「何?」
「この実習室の鍋とか食器とか、結構汚れてますよね」
「本当だ」
「前の実習クラス、きちんと洗わなかったのかな」
「それにしても限度ってもんがあるんじゃねぇか」
「(自分でやっておいて、よく言うよ)じゃぁ、面倒ですが先輩、兄さんと2人で洗っちゃってもらえませんか?」
「え、お、俺もか?(譲、てめぇ!)」
「うん、良いよ。さ、将臣君、さっさとやっちゃおう」
「皿、割らないようにお願いしますよ。先輩」
「譲、覚えとけよ」
「何のことかな、アリカワ先輩」
「く! オラオラ! 望美! 安藤! 片っ端から洗ってやるから持って来い!」
「鵜野ちゃんもお願い」
「では、1年と2年の他の先輩で、材料の下ごしらえをしてしまいましょう」
「始まってしまいましたね、校長先生」
「本当に今回は上手くいくんだろうね、教頭」
「こうなったら、有川将臣君の事を信じるだけです」
「信じられるのだろうね」
「……」
「教頭!」
その時だった。
事務職員が廊下を走って、校長に近付くなり耳打ちをした。
途端に、校長の顔色が変わる。
「な! 何だって! ダメに決まって…。え!? 下に? 下って……。じ、事務室前ロビー!!
まだ、何か? え! そっちも!? なんで今日なんだ!
わ、分かった。すぐに、行く。……すぐ行くから校長室と、…それから応接室にお連れして、
お茶でもお出ししておきなさい」
走り去る職員の後ろ姿を見送りながら、教頭が尋ねる
「どうなさったんです?」
「教育委員会の抜き打ちの特別視察だそうだ」
「え! 今日……ですか」
「校長室に……。どうして、今日なんだ」
「そうですね。……? 応接室の方は?」
「……テレビ神奈川の取材クルーだそうだ」
「だ、誰が取材許可を…」
「こっちも抜き打ちだ」
「お帰りを願いましょう」
「理由は? 来てしまったものを拒否すると、何か隠していると勘ぐられるものじゃないのかね」
「それは…」
「こうなったら、……彼、有川将臣と有川譲の2人に、この鎌高の命運を託すしか、なくなったようだ」
「そんな、大袈裟な」
「間もなく、高校受験の出願が始まるのを忘れていないでしょうね、教頭」
「あ」
「ごく普通の日常であれば、何の問題もない良い子達だ。こんな穏やかな高校は滅多にない
これは我が校の誇れるところだ」
「はい」
「だが、教育委員会とテレビクルーの前で、前回のような爆発事故でも起こしてみなさい。
危険極まりない学校として、どう誤解されるか分かったものではない」
「ああ……」
「そうなったら私も君も……。前回の調理実習以来、養毛剤が手放せなくなった」
「な、何と申し上げたらいいか……。御同情いたします」
「調理実習なんて、大嫌いだ!」
校長はやけくそのように吐き捨てて、階段を降りて行った。
10/01/20 UP